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旧暦雛祭 きもの日和展

 

 今月のすぺーすくじらは「お雛様と着物」を展示いたしました。五節句のなかでも桃の節句は春の到来と久々に飾った雛人形が晴れがましく、母からきものを着せてもらったおさないころの記憶がよみがえってきます。雪がとけて、桃の花がほころびやがて丘を桃色に染めるころは春色のきものに着がえてお出かけしましょう。 

 

 

2017年3月25日~4月15日ネットギャリーにて公開いたします。

 

 

 

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GALLERY 

 

   聖徳太子を中心とした飛鳥時代の文化の香りは、千三百年を経た今も斑鳩法隆寺に伝えられる数々の宝物からもうかがい知ることができる。染織品も美しい形で保存されていて、それらは明らかに当時の中国より輸入されたものと国内で生産されたものとが混在する。蜀江錦という赤地の経錦は漢代から中国で織られていた華麗な経錦と同等のもので、おそらく四川省の蜀の国で織られたためにこの名称がつけられたと考えられている。(略)

 聖徳太子ゆかりの裂としてその名を太子間道と呼ばれる経絣は経糸にするものをあらかじめくくって染料が浸透しないようにして赤、白、藍、黄に染め分けて文様をあらわす技法で織られている。絣は世界に広く分布する技法であるが、法隆寺のそれらは現存する最古の絣布である。(略)

 聖徳太子の没後に作られた天寿国繍帳の人物像から当時の宮廷貴族の服装を推測することができる。こうした着装の姿はいずれも隋の国の強い影響をうけた、いわば大陸風のものであるが、この刺繍布に見られる色の多彩さ、羅の織や縫いの技の高度さからみて飛鳥時代もしくはそれ以前に渡来人の優れた技術を同化しながら、日本においても長安あるいは洛陽の都の人々と変わらない服装が貴族の間で着装されるまでに進歩している様子がわかるというものである。(略) 

 高松塚古墳西壁の四人の女性はそれぞれ朱、黄、緑、白の上着をつけ、赤緑白とそれぞれ染め分けた布を縫い合わせたスカート風の裳(も)をはいている女性が二人いて新疆ウイグル自治区博物館に収蔵されていた加彩舞女木胎俑のそれとよく似ている。しかし唐時代に中国の風俗を写した発掘品あるいは古墳壁画に描かれている女性風俗画にはこうした左前の上着を見ることがなく、高句麗の壁画に近いという指摘もあった。朝鮮半島の風俗が強く影響しているのか、あるいは日本独自の形の服なのかが注目される。

             吉岡幸男著「染と織の歴史手帖」より

太子間道(写)制作過程

仕様図に基づき糸数を分け、大枠に張り墨で印をつけていきます。 

 染を終え、括りひもを解いた後で絣の柄を合わせ整形します。

 手織でおることにより、よりしなやかな風合いを追求しました。

印にそって紙を巻きひもで縛りそめます。白を除く色数(5色)の回数をくりかえす。

 整形した絣糸を綜絖に通します。

 

 完成した絹経絣「太子間道(写し)」を袋帯に仕立てます。

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